科学読み物研究家・鈴木裕也の書評で読む『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』
一般向けポピュラーサイエンス読み物を読み漁り、書評を書くライター・鈴木裕也さんが選んだ、イチオシの本を紹介するコーナーです
(白揚社の書籍に挟んでいる「白揚社だよりvol.6」からの転載)
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最新科学に基づいた「説得の極意」
新型コロナウイルス対策で、感染抑制策と経済政策のどちらを優先するか。メディアでは連日、それぞれの立場の意見を紹介するだけで、いつまでたっても結論が出ない。そういえば、福島原発事故の時も原発推進派と反原発派がお互いの主張を訴えているだけだった。深夜の討論番組も国会論戦も同じだ。論議を尽くすと言っておきながら、お互いの主張を繰り返すだけで、誰もが最後まで自分の意見を曲げることはない。世の学者や政治家はなんて頑固なんだろうと呆れ返っていたが、本書を読んで頑固なのは学者や政治家だけじゃないことがよ~くわかった。
そもそも人の脳は何百万年も前からの産物であり、大量のデータを入手しやすくなった現在の価値基準を用いて判断を下さないのだ。脳が判断を下す価値基準はデータや論理ではなく、意欲・恐怖・希望・欲望といった人間の中核にある。しかも、人は自分の意見を否定するような情報を提供されると、新しい反論を思いつき、さらに頑固になるという。要するに、人は自説を裏付けるデータだけを信じ、反対意見には見向きもしない傾向がある。なるほど、コロナ対策も原発政策もまとまらないわけだ。
では、人の主義主張を変えることはできないかというと、そんなことはない。本書には、興味深い実例がたくさん紹介されている。たとえば、手を洗わない病院スタッフに手を洗わせるためのプロジェクトの事例は面白い。この病院にはジェル状の手指消毒剤と洗面台が備え付けられており、手洗い推奨の注意書きも貼られていたが、手洗い順守率は驚くほど低かった。そこで監視カメラを導入して監視を強化したが、これも失敗。手洗いをしたのはわずか1割だった。次に電光掲示板を設置して手洗い順守率を表示した。手を洗うたびに数値が上がるこの装置で、スタッフの達成感を刺激したところ、なんと手洗い順守率は90%まで上昇したのだ。作戦は大成功だった。
運動不足の夫をジムに通わせる魔法のひと言
もっと簡単な例もある。いくら指摘しても運動不足を改めない夫が、珍しくジムから帰ってきたときに、妻は「鍛えた筋肉が素敵」と言っただけで、夫はジム通いを続けた。手洗いの例と同じで、警告や監視という強制よりも、誉め言葉や掲示板の数値の上昇という喜びのほうが人に影響力を与えやすいというわけだ。
認知神経科学という心理学と脳科学が交わる領域の専門家である著者は、多くの実験結果やエピソードとともに効果的な説得の技法を本書で伝授している。そして、税金を払ってもいいと思わせるための秘策、満身創痍のマイケル・チャンが全仏オープンで、ランキング1位のレンドルを破った理由、アマゾンのレビューはどこまで信じられるかなど、興味深い疑問にもわかりやすい回答を示している。
さすがに説得の技法の専門家である。本書を読み進むうちに、私も職場や友人との会話や議論の際に、この説得方法を試してみたいという気持ちになっていた。
(鈴木裕也・科学読み物研究家)
⇒noteで『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』のはじめにを試し読みいただけます
白揚社だよりVol.6
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